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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)219号 判決

原告

松本勝弥

右訴訟代理人弁護士

斉藤一好

(ほか三名)

右訴訟復代理人弁護士

杉山悦子

被告

財団法人民主音楽協会

右代表者理事

姉小路公経

右訴訟代理人弁護士

猪熊重二

今井浩三

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

一  原告

1  原告が被告に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  被告は、原告に対し、別紙(略)目録の「金額」欄記載の各金員及びこれらに対する右各金員に対応する同目録の「起算日」欄記載の日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  2及び3につき仮執行の宣言

二  被告

主文第一、二項と同旨

第二主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四三年一月二五日頃、被告の職員として雇傭された。

2  被告は、原告を懲戒解雇したとして、昭和四八年一月一四日以降原告の就労を拒否し、同月分以降の賃金を支払わない。

3  原告が被告から就労を拒否されなければ得られたであろう賃金の額は別紙目録記載のとおりであり、月別賃金の支給日は当月二八日、同日が休日の場合はその翌日であった。

4  よって、原告は、原告が被告に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることの確認並びに被告に対し別紙目録の「金額」欄記載の各金員及びこれらに対する右各金員に対応する同目録の「起算日」欄記載の日(各金員の支給日より後の日)から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実中、原告が被告の職員として雇傭されたことは認めるが、その日は昭和四三年二月五日である。

2  同2の事実中、被告が原告を解雇したことを理由に昭和四八年一月一四日以降原告の就労を拒否していること、被告が原告に対し右同日以降の賃金を支払わないことを認める。

3  同3の事実は認める。

三  抗弁

1  被告は、昭和四八年一月一三日、原告に対し、次の理由により解雇の意思表示をし、同時に、原告に対し、平均賃金二八八〇円の三〇日分の予告手当八万六四〇〇円を提供したが、原告が受領を拒絶したので、被告は、同月一六日、東京法務局にこれを供託した。

(一) 被告は、昭和四七年一二月二九日、原告の職務内容を企画第二部の業務から事業部の業務に変更する旨の配置転換(以下「本件配置転換」という。)をした。しかるに、原告は、昭和四八年一月五日、これを理由なく拒否し、同日以降事業部において就労せず、業務命令に違反した。

(二) 原告は、企画第二部の業務の執行に関し、被告の取引先である中坪英雄及び株式会社ナカツボ(代表取締役右同人。以下「訴外会社」という。)の実質上の営業担当責任者であり、右同人の子である中坪功雄との間で次のような不正行為を行った。

(1) 原告は、中坪功雄に対し、被告の企画業務に使用するためと偽わって、金銭を交付すべきことを要求し、同人から、昭和四七年二月一二日に一〇万円、同年三月二一日に五万円をそれぞれ受領した。

(2) 原告は、右同人に対し、昭和四六年一二月頃から同四七年五月頃までの間、中坪英雄及び訴外会社が被告と公演契約を締結するに際し契約金額を水増請求するよう指示し、更に、右水増請求分をプールしておき、原告の指示に従ってこれを原告に交付することによって被告に還元することを要求した。

2(一)  原告には次のとおり懲戒解雇の事由があった。

(1) 前記1(一)及び(二)の各事実

(2) 原告は、昭和四六年九月四日、被告の企画により行われる西郷輝彦ショーを請負った能見英俊との間で、右ショーに出演する踊り子の出演料について一五万円を水増した総額三〇万円の請求書を書くよう要求し、能見がこれに従った結果、同月二〇日、被告から同人に源泉徴収税額分三万円を控除した二七万円が支払われた。原告は、同月二一日頃、同人に対し水増請求分一五万円から右源泉徴収税額分三万円を差引いた一二万円を還元するよう要求し、同日その支払を受けた。

(3) 原告は、昭和四七年四月末頃、被告の企画により行われる水前寺清子ショーの制作を受託した第三制作聚団の清水捷一に対し、右ショーの衣裳・小道具費について三六万円を水増した総額一〇八万円の見積書を書くよう指示し、同人がこれに従った結果、被告から同人に右見積書どおりの金額が支払われた。原告は、同年六月初旬頃以降、清水に対し右水増分を含めて五〇万円の支払を要求し、同人は、同年八月中に二回にわたり合計五〇万円を原告に交付した。

(4) 原告は、昭和四七年四月七日頃、被告が草笛光子ショーのプログラム原稿作成を委任した原田博行に対して支払うべき原稿料五〇〇〇円を預り保管中、これを着服して横領した。

(5) 原告は、昭和四七年一一月一四日、被告が有限会社佐藤事務所との間において締結する民音バラエティ寄席に関する契約について出演料の金額を一三一万二九八四円水増してこれを七一五万円と記載した契約書を作成しようとした。

(二)  原告の右各行為のうち本件配置転換拒否の点は現行就業規則(昭和四七年五月三〇日作成)第二六条第一二号(「業務上の指揮命令に違反したとき」)に、その他の点は旧就業規則(昭和四〇年一月下旬作成)第二三条第九号(「法人の名誉・信用をきづつけたとき」)・第一三号(「前各号に準ずる程度の不都合な行為をしたとき」)、現行就業規則第二六条第九号・第一三号(いずれも旧就業規則の対応号と同文)にそれぞれ該当する。

(三)  そこで、被告は、昭和四八年一月一三日、現行就業規則第二七条第五号(制裁の種類・程度)に基づき原告を懲戒解雇した。

3  被告は、昭和四八年一月一三日、原告に対し同月一日から一三日までの給料四万〇〇九六円を提供したが、その受領を拒絶されたので、同月一六日、これを東京法務局に供託した。

四  抗弁に対する答弁

1  抗弁1の事実中、被告が昭和四八年一月一三日その主張のような理由で原告に対し解雇の意思表示をしたこと、当時の平均賃金が二八八〇円であったことは認める。同(一)の事実中原告が本件配置転換を拒否し、事業部において就労しなかったことは認めるが、右拒否が理由なくなされたことは否認し、同(二)(1)及び(2)の事実は否認する。

また、右解雇は懲戒解雇としてなされたものであるところ、懲戒解雇の意思表示は通常解雇の意思表示としての効力を有しない。

2  抗弁2(一)(1)については、前記1のとおり。

同2(一)(2)ないし(5)の事実はいずれも否認する。

同2(二)の事実は否認する。なお、被告には旧就業規則なるものは存在しなかったし、現行就業規則については労働者の過半数を代表する者の意見が聴かれていない。

同2(三)の事実中、被告が昭和四八年一月一三日原告を懲戒解雇したことは認める。

五  再抗弁

本件解雇ないし懲戒解雇は、次のとおりその理由がなく、従って権利の濫用として無効である。

1(一)  被告は、音楽演奏会、印刷物等によって音楽の教育及び普及並びに音楽家の育成を図り、もって情操豊かな民衆文化を興隆させることを目的とし、音楽演奏会・鑑賞会の開催、音楽教室の開設等の事業を行うものであるが、その事業は、音楽会等の企画の立案実施を司る企画局の第一部(クラシック音楽部門)及び第二部(ポピュラー音楽及び歌謡曲部門)が中心をなしており、特に第二部は全企画の八割をまかない、その部員は、音楽会の立案・制作について特別の知識、音楽の素養、企画センスと実行力及び豊富な経験が要求せられ、専門的力量を不可欠としている。従って、その地位は、被告の職員のあこがれの的である。これに対し、事業部の仕事は、音楽教室の管理運営や創価学会(以下「学会」という。)の音楽局及び音楽隊・鼓笛隊のなす独自の音楽企画に対する連絡等事務的なものである。原告は企画局に約五年間勤務した経験豊富な専門職員であり、このような原告を単純労働的閑職の事業部に配置転換するのは、そのこと自体合理的理由がない。

(二)  本件配置転換は、右のように合理的理由がないだけでなく、原告が被告の事実上の母体をなす学会に対する批判活動を行ったため、原告に対する嫌がらせとしてなされたものである。

(三)  従って、原告が本件配置転換を拒否したのは正当である。

2  被告の主張する原告の不正行為なるものはいずれも作為的な捏造であり、根拠がない。

六  再抗弁に対する答弁

再抗弁1(一)の事実中、被告の事業目的及び事業内容、当時被告の組織として原告主張のような企画局の第一部及び第二部があったこと、当時の事業部の仕事の中に音楽教室の管理運営事務があったこと、原告が約五年間企画局に所属していたことは認めるが、その余の事実、再抗弁1(二)及び(三)並びに2の事実又は主張はいずれも争う。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実中原告が遅くとも昭和四三年二月五日被告の職員として雇傭されたこと、同2の事実中被告が原告を解雇したことを理由に昭和四八年一月一四日以降原告の就労を拒否していること及び被告が原告に対し右同日以降の賃金を支払わないこと並びに同3の事実は当事者間に争いがない。

二  抗弁1の事実中被告が昭和四八年一月一三日その主張のような理由で原告に対し解雇の意思表示をしたこと及び当時の平均賃金が二八八〇円であったことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、被告がその際原告に対し平均賃金の三〇日分の予告手当八万六四〇〇円を提供したが原告が受領を拒絶したため被告は同月一六日東京法務局に右金員を供託したことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告は、右解雇は懲戒解雇としてなされたものであるから、通常解雇の意思表示としての効力を有しないと主張し、(証拠略)によれば、右解雇は懲戒解雇として通告されたことが認められる。

しかし、一般に懲戒解雇といわれるものも、使用者が労働者に対して行うところの雇傭契約を終了させる意思表示であるという点において、通常の解雇と何も異るところはなく、ただ多くの場合懲戒解雇には就業規則等で退職金債権の不発生ないし喪失の効果が付加されているので、右の効果が生じているか否かを問題とする場合は、これを判断するために就業規則等に定められた懲戒解雇の要件を充しているかどうかを判断する必要が生ずるが、そうでない場合は、仮に懲戒解雇としてされた解雇の意思表示であっても、使用者が解雇の理由として挙げた事実を前提として考えて当該解雇の意思表示が権利の濫用に当らない限りは、雇傭契約終了の効果を認めて差支えないものと解する。

よって、原告の右主張は採用できない。

三  原告が本件配置転換を拒否し、事業部において就労しなかったことは当事者間に争いがない。

そこで、右拒否が正当といいうるものであったか否かを以下検討する。

1  (証拠略)によれば、次の事実が認められる(一部争いのない事実を含む。)。

(一)  被告は、学会会長池田大作の寄附金を基本財産とし、それまで学会の一部局であった民主音楽協会を母体として昭和四〇年一月に発足した公益法人であって、音楽演奏会、印刷物等によって音楽の教育及び普及並びに音楽家の育成を図り、もって情操豊かな民衆文化を興隆させることを目的とし、音楽演奏会・鑑賞会の開催、音楽教室の開設等の事業を行っている。昭和四七年一月当時その組織は、事務局、企画局、組織局、民演事務局、関東民音に分れ、右のうち事務局は経理部、庶務部、管理部、事業部に、企画局は企画第一部、企画第二部、企画庶務、広報部にそれぞれ分れていた。右の事業部は、いずれも無料開放の、演奏会場で行う市民コンサート、ジュニア・コンサート及びハイスクール・コンサート、学校巡回の形をとる学校コンサートの開催、レコード・ライブラリー及び音楽教室の運営、音楽資料館の設立準備等の直接被告の事業目的である公益事業を遂行する部門であり、企画第一部及び企画第二部は、有料の音楽会等の企画運営を行うことにより被告の公益事業目的に資すると共にその目的を遂行するための収益を図る部門であって、企画第一部はクラシック音楽を、企画第二部はポピュラー音楽、歌謡曲等を担当していた。

(二)  原告は、昭和四三年二月五日、被告の職員として採用された際誓約書を提出したが、その誓約事項の中には、「如何なる職務転換・配置転換があっても異存はありません」との項目がある。

(三)  原告は、被告に採用される前は広告代理店である東洋弘報社で営業の仕事に従事していた者であり、被告に採用された時は特に演奏会等の企画及び遂行の仕事をする職員として採用されたのではなく、それまでの経歴を生かしてしばらくの間は企画第二部において広告取りの仕事をし、その後ポピュラー音楽、歌謡曲等の演奏会の企画及び遂行の仕事を担当するようになった。

(四)  被告は、昭和四七年度の事業計画として公益事業の拡充を企図し、その中でもそれまで不十分であった学校コンサートの推進に重点を置こうとして事業部に一名職員を増員することとなったが、原告のそれまでの企画部における経験と積極的な性格が事業部の拡充に必要であることと企画第一部及び企画第二部の他の職員が異動困難であったり必ずしも適任でないこととを考慮した結果、原告を事業部に異動させることとした。そこで被告は、昭和四七年二月一八日、他の三名の職員の人事異動と同時に原告に対し事業部への異動を告知したが、原告はこれに応じなかった。そのため、被告は、原告を採用したときの紹介者であり、もと理事の大久保直彦に原告の説得を依頼し、同月一九日、同人と共に被告の理事宮川昕也及び企画局長松村和明が原告と話し合い、事業部の重要性や今後の事業活動を説明したりした結果、大久保の提案により、原告の所属は既に告知したとおり事業部のままとするが、同年一二月の公演企画である「歌の大行進」が終るまでは従前どおり企画第二部の仕事を原告の担当業務とすること、右企画終了後は事業部の仕事を担当するものとするが、そのときはその段階であらためて告知することとなった。

(五)  昭和四七年一二月、被告は、東京民音部門を全国本部から分割することに伴う機構改革を行い、従来の組織を事業局、企画局、音楽資料館及び東京民音事務局に改め、事業局の中に事業部が設けられることになった。被告は、同月二九日、機構改革に伴う多数の職員の人事異動と併せて原告に対し右事業部への配置転換を告知した。

以上の事実が認められる。

原告本人の供述中には、原告が採用時に提出した誓約書は当時の被告総局長大久保直彦からは形式的なものであると説明され、自分も形式に過ぎないと理解している旨の部分があるが、原告本人の供述によれば、大久保からはその際創価学会関係の本部職員は三六五日、二四時間の学会活動をするつもりで勤務すべきものであって、世間の職場へ勤めるのとは違うと説示されたことが認められ、右事実によれば、仮に大久保から誓約書が形式的なものであるとのことばが出たとしても、誓約書が当事者を拘束しないとの趣旨で述べられたものでないことは明らかである。

また、原告は、昭和四七年二月の配置転換に際し被告からその理由をきかなかったし、原告の職務が専門職であって三年程度の経験を経ないと一人前にならないのに対し、事業部は「ひま部」と呼ばれるような部門で経験も必要としない旨供述する。しかし、原告が配置転換の理由をきかなかったとの点は(証拠略)に照らして信用することができないし、一定年数の経験を経ないと仕事の上で一人前にならないというのはいかなる職務についてもいえることであり、しかも原告の供述する企画第二部職員の職務内容からしてこれが他の部門に異動することが予定されないような専門職であるとは考えられない。また、事業部が被告の公益事業の目的を直接遂行する部門でありかつ、被告が同部門の拡充を企図していたことは既に認定したとおりである。

更に、原告は、昭和四七年二月一九日被告は同月一八日の配置転換を白紙撤回し、ただ表向きだけ所属を事業部としたのであり、同年一二月の「歌の大行進」終了後でも原告が同意した場合にのみ始めて他に配置転換できる旨の合意が原被告間に成立した旨供述する。しかし、昭和四七年二月一九日の話合いの結果は原告の説得方を被告から依頼された大久保の提案によるものであり、しかも前記のとおり原告は採用時にいかなる配置転換にも異存がない旨誓約していることを考慮すれば、原告の同意がない限り将来配置転換しないという趣旨の被告にとって不利益な提案を大久保がすることは考えられないところであるし、将来事業部に配置転換できるという見通しもないままに長期間原告の所属を表向きだけ事業部としておくことも不自然であって、使用者として通常採りえない措置である。従って、原告の右供述部分は信用することができない。

以上の事実によれば、本件配置転換は、原被告間の当初の雇傭契約で定められた原告の職務の範囲内における担当事務の変更に過ぎず、しかもその合理性に欠けるところはないということができる。

2  (証拠略)によれば、原告及びその妻松本堯美は共に以前から熱心な学会員であったが、昭和四六年九月一二日妻は信仰上の疑念から他の活動家と共に学会を脱会したこと、しかし原告には当時妻と行動を共にする気持はなかったこと、原告は同年一〇月頃原告の妻の脱会の事実を知った被告の理事宮川昕也から妻の意見に影響を受けないで信仰の面でも仕事の面でも頑張るように説諭され、原告も別段これに反発するところはなかったこと、原告は以前から学会の教学部教授の役職にあったが、昭和四六年一一月頃五五才未満の教学部教授全員に課される教授論文を、学会から示された六七項目のテーマの中から選んだ「人間主義に基づく組織の考察」をテーマとして、作成提出し、その中で学会組織の非民主性を指摘したつもりであったが、同年一二月一七日学会教学部の審査の結果右論文は合格となったことがそれぞれ認められ、右事実によれば、昭和四七年二月一八日当時被告が原告の信仰について疑いを持っていたものとは認められず、右同日の配置転換は、原告の信仰上の思想の変化とは関係がないものと考えられる。

そして、前述のとおり、本件配置転換は、実質上昭和四七年二月一八日の配置転換の延長とみることができるのであるから、本件配置転換もまた原告の信仰の問題とは無関係であるということができる。

もっとも、(証拠略)によれば、原告が昭和四七年一一月一一日東京地方裁判所に学会を被告として学会のいう本尊に疑義があること等を理由に学会に寄附した供養金の返還を求める訴訟を提起し、学会は同月一五日原告を除名したこと、被告は学会から分離独立して設立された法人であって、被告の職員は全員が学会員であったことが認められるので、本件配置転換当時被告が原告に対し好感を抱いていなかったことは推測することができるが、前述のとおりもともと内容において合理的であり、かつ原告の信仰の問題とは無関係に予定されていた配置転換が右のような被告の原告に対する感情の変化の故に違法なものと化する理由はないというべきである。

3  従って、原告は、本件配置転換を故なく拒否したものということができる。

四  (証拠略)によれば、原告は、昭和四七年二月一一日、被告出入りの取引業者である訴外会社の取締役中坪功雄に対し、真実はそうでないのに被告の企画のために必要であるから協力してほしいと称して金員を交付することを指示し、中坪から同月一二日一〇万円、同年三月二一日五万円の各交付を受けたことが認められる。

原告は、昭和四七年三月末か四月初め頃、やはり被告の出入り業者である第三製作聚団の経理担当者清水捷一から、第三製作聚団において一五万円が必要なのでこれを中坪から借用してほしいと依頼されたため、中坪に取次をし、同人から一五万円を預ってこれを清水に交付したことがあるが、返済方法等については清水と中坪の間で話合って決めてもらうこととし、それ以外は一切関与しなかったものである旨供述する。

しかし、(証拠略)によれば、中坪が原告の言動に不審を抱いて昭和四七年五月上旬被告の企画局長松村和明に対し原告に交付した一五万円の行方について尋ねたところ、松村から一五万円を交付したことを証明する領収証を持参するように言われたこと、そこで中坪が原告に領収証の交付を依頼したところ、原告は同月九日清水に領収証の作成を指示し、同人がその指示に基づき同人の義兄塚田庚治名義で訴外会社宛に取引上の金銭領収のような形式で一割の税金分を上乗せした一六万六六六六円の領収証を作成し、原告がこれを中坪に交付したこと、更にその後原告は被告がこの領収証の真偽について関係者から事情聴取をしていることを知って、同月三〇日、清水に一五万円を交付して中坪に対する返還を指示し、同日清水がこれを中坪に返還したことが認められるのであり、これらの事実に照らせば、原告の前記供述は信用することができない。

五  (証拠略)及び前記四の事実によれば、原告は、昭和四七年四月頃、訴外会社が請負うこととなっていた同年六月公演の関東民音浪曲名人会及び東北民音浪曲名人会について同社の水増見積であることを知りながら、その差額から自己の指示に応じて金員を交付させる目的で、同社取締役中坪功雄と意思を通じて前者につき九〇万円、後者につき三八五万円の見積を提出させ、これに基づき同社と被告との間の契約を締結させようとしたことが認められる。

証人中坪功雄は、昭和四六年一一月頃以降原告から被告の企画部が将来大きな規模の仕事をするときに資金が必要であるので、見積書を適宜水増して、受取った代金から水増分をプールしておき、原告の指示があったらバックすることにより協力してほしいと言われて、昭和四七年一月以降の浪曲名人会の公演分について一公演日当り二万円の水増請求をしてこの分をプールしていた旨証言するが、同証言によれば、原告からは水増すべき金額についての具体的な指示がなく、自分一人の判断で一公演日当り二万円と決めて水増額をプールしていたということであり、また、訴外会社にとって赤字であった歌謡浪曲の公演については水増請求指示の対象となっていなかったというのであり、これらの点を考慮すると、果して昭和四六年一一月頃以降証人中坪功雄がいうような形で原告から水増の指示があったか否かは疑わしいものということができる。

他方、原告は、中坪功雄に対し水増の指示をしたことはない旨供述し、昭和四七年六月の関東民音浪曲名人会及び東北民音浪曲名人会については、同月一二日、松村企画局長から契約金額の減額を指示されて中坪に問い質したところ、関西民音公演の赤字を補填するために上乗せした見積を提出していたが、その後上乗せの必要がなくなったとの説明を受けた旨供述する。しかし、証人松村和明の証言によれば、松村企画局長から原告に関東民音浪曲名人会及び東北民音浪曲名人会の契約金額について減額して契約の締結をするよう指示したところ、原告は、訴外会社の契約金額が従前安かったことと秋の浪曲名人会の企画予算が足りないことを見積額が実際の金額より高くなっている理由として挙げたというのであり、この事実に照らせば、中坪の水増見積の理由についての原告の前記供述は信用することができない。更に、(証拠略)によれば、原告と中坪が昭和四七年五月公演の歌謡浪曲によって訴外会社に生ずる赤字の補填について話合った際水増見積の話が出たことが窺われるが、右各書証によれば、歌謡浪曲の赤字については、昭和四七年五月九日、同社に生ずる赤字約一六〇万円のうち約一〇〇万円を被告が負担し、その余は同社が負担することとして解決されたことが認められるのであり、中坪の水増見積に基づく契約締結がこの赤字を処理するためのものであったとも考えられない。しかも、原告自身の供述によっても、同社が本来受取るべき経費及び手数料を超える金額を被告に対して見積りかつ請求していることを原告が知って容認していたことは明らかである。

従って、中坪に対し水増の指示をしたことがないとの原告の前記供述部分も信用することができない。

六  以上三ないし五で認定した事実によれば、被告が原告に対してした解雇の意思表示は相当な理由に基づくものであって権利の濫用には当らず、原被告間の雇傭契約は昭和四八年一月一三日限り終了したものということができる。

七  (証拠略)によれば、被告が昭和四八年一月一三日原告に対し同月一日から一三日までの給料四万〇〇九六円を提供したが、その受領を拒絶されたので、同月一六日これを東京法務局に供託したことが認められる。

八  以上の次第で、原告の本訴各請求は、いずれも理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桜井文夫 裁判官 福井厚士 裁判官仲宗根一郎は、転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 桜井文夫)

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